メシアンの「主の生誕」

11月に入ると、ベルギーもクリスマスの準備に入ります。
クリスマスは4週間かけて盛り上げる(?)大イベントなので、日本で年末年始の準備に入るような感じの事でしょうか。

オルガニストの場合、教会の音楽の準備、クリスマスの周辺の演奏会の準備、家庭での準備、家族の集まりのパーティーの準備、いろいろ準備がある中で、クリスマスにしか弾けないオルガン曲を取り出して山積みにしておき、ひとりでまたこつこつ練習していく時間は「自分の心の準備」になるので、とかく喧噪に包まれがちなクリスマスの気分よりも、アドベント=待降節の気分にぴったりで、なかなか良いものです。

たとえば「今年は12月にメシアンの『主の生誕』組曲全曲をまた弾こう!」と思ったのは、年初めの2月。20代のころ、まだ先生に付いているときに初めて全曲弾いて、そのあと30代のときに部分的に弾き、ルイ・ロビヤール先生の講習会を聴講して譜面を激しく書き込みでいっぱいにしたあと、いつか弾き直そうと思っていたものです。

以下は、あらためてその「主の生誕」について振り返るために書いた先週のオリヴィエ・メシアンの「主の生誕」についてのブログ仏語記事の要約です。


*****


オリヴィエ・メシアンはフランスの20世紀の作曲家で、1935年に書かれた「主の生誕」は、彼が27歳のときの作品なのです。まず、作品の大きさ(全曲で1時間)と、作品の品格のようなものを考えたときに、その年齢の若さに驚きます。

初めは風景画のような感じで、

第1曲目:
「聖母と御子(イエス・キリスト)」

第2曲目:
「羊飼いたち」

そのあといきなり抽象的になり、

第3曲目:
「永遠の『下書き』」
(直訳すると…そうなのですが、旧約聖書に書かれた預言の通り、神の子が人の子として生まれる物語を指し、そのあとその子が十字架にかかる、というところまで既に準備されていた通りのことである、という背景を表現している)

第4曲:
「動詞」
(直訳するとそうなるが意味としては「ザ・行動」ということなので、今までは預言なのでまことにヴァーチャルであったのが、ついに実現する、ということ)

第5曲目:
「神の子供たち」
(これは人間みんなのこと)

第6曲目:
「天使たち」
(ここでは天使の羽の動きのような音形から、非人間性も表現されているけれど、人間がばたばたしている様子を天使たちが見ている感じもします)

第7曲目:
「イエスが受難の辛苦を受け入れる」
(イエスの十字架がなければ、イエスはキリストたり得ない。ふつうの生誕劇では十字架には「触れないようになっている」けれども、メシアンは組曲の終わりの方で、重く暗い事実に触れる)

第8曲目:
「賢者たち」
(教会学校の降誕劇では必ず出て来る「3人の博士たち」。おのおの贈り物を持って、遠くから星に導かれてベツレヘムに着いたのはもちろん生まれた日ではなく、今の暦では「エピファニー」という1月の日曜日になっています。イエスが貧しい馬小屋で生まれたときの王様が、救い主の生誕を預言から知っていて、男の赤ちゃんを全て殺すように決めていたので、3人の賢者たちは、ばれないようにこっそり違う道から帰って行った…ことが曲に現れているように見えます。)

第9曲目:
「神はわれらと共に」
(メシアンの作品の中でも1番ぐらいに有名なトッカータ。神様という別個の存在がイエスキリストという人の形を取って現れた事を、われらの『中に』=Parmis、という仏語で題名に表現されています)

譜面は4冊の楽譜になっていますが、その最初の楽譜のページに、
「まず大事なのは、感情、そして真摯な気持ちだ。
でもそれを伝えるために、確実でクリアーな手段を用いた。」

音楽作品として前衛である、とかそうことは関係ない、と言いたいような感じの言い方でまず感情が大事だと言いつつ、しかし感情に流される系の音楽ではない…と釘を刺しています。

そのあと作曲者の「注意」は以下の様に続きます。



神学的には5つの考えが基本になっている。

1)わたしたちの運命が、(預言としての)「動詞」が発効することで成就する、ということ(第3曲)。
2)生き神が私たちの巷にいるということ、その神は苦しんでいる神であること(第7曲)。
3)3つの誕生:動詞の永遠性の誕生、ひととしては一過性のイエスの誕生、キリスト教徒の精神性の誕生
(第4、1、5曲)。
4)クリスマスを詩的にいろどる登場人物の表現:天使、博士、羊飼い(第6、8、2曲)
5)9曲という編成は、聖母マリアの9ヶ月の妊娠に敬を表している。




私がこの作品を初めて弾いたころは仏語がわからなかったため、このような神学的意味はあまり消化しないまま演奏していましたが、曲の中にきちんと、「クリアーに」音が出て来ているので、感情的に演奏できる、そして聴いて理解出来る作品になっているのだ、と思います。それにしても、前書きを書いてくれるメシアンは真面目だし、読むとこちらもなるほどね、とより深くこの作品を愛する事が出来ます。たとえばバッハが自分の作品について前書きを付けていたりしたらどんなだったかな…と想像してみたくなったりもするのでした。


それにしても、このメシアンの曲より有名な「生誕劇」オルガン作品が存在しないのは、不思議なことではないでしょうか。まだ若かったメシアンですが、確固とした「オーソリティー」らしい姿勢が全編から感じ取れる作品だから、クリスマスの軽さばかり表面に出て忘却のかなたにおしやられてしまう、少なくないはずの数のクリスマスオルガン作品の憂き目に遭わずにすんでいるのであろうと推察します。




演奏会予告:12月16日の「ランディドルグ」コンサートで弾きます。この曲は1時間かかるのですが、要約だと折角のメシアンの意図が伝わらないと思い、12時45分から13時45分まで、普段より特別措置で15分長く弾かせてもらうことになっています。


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習慣付け…
と、いうか、フランスから6時間車で帰ってくる中で少し眠り、今真夜中過ぎにブログアップなので、早起きしてブログアップした事には全くなっていないし、明日の朝、早起きすることはできなそうなので、今日は例外(今日「も」)。

クリスマス…
キリストの生誕の話は聖書に書いてあるからキリスト教の物語であるかというなら、100%そうですが、ヨーロッパで冬に大きな「光の」お祭りがあったことはキリスト教が伝わる前からそうだったらしいです。そこに、生誕の話がちょうど「はまった」から、長いあいだ受け継がれ、現在の形にまで「増幅した」ようです。
でも馬小屋の赤ちゃんを思うとき、増幅しすぎたクリスマスは非クリスマス的だし、喧噪や商売一色の12月には、やっぱり、十字架を負わなければならなくなる赤ちゃんなんだ、と、アイロニーなのか、整合性があるのか、「なんだかな〜」という気分にもなるものです。

でも、そういうことはおいといて、もちろん、クリスマスは楽しい。
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