母教会

私の母教会は国立のぞみ教会です。母教会とは何か?私の場合は、たまたま、近くにあったために毎週通うようになった教会で、いつしかその教会で洗礼を受けたところのことです。今日のこのブログのカテゴリーでは地域情報、と書いてみましたが、実際は地理的なことではないのかもしれません。


私が子供の頃、学校がない日曜日は友達に会えないので、教会に友達が集まるということが最大の日曜学校に行きたい理由でした。でも、そのほかに、牧師先生が歌が好きで音程良く歌っていた事も実は大事なことでした。当時の伴奏者のNさんも、今思えば、音を間違ったのを聴いたことがない奏楽者でした。


このように、教会でみんなといることが好きで、教会でたくさん「音楽の破片」を聴けることが好きでした。13歳か14歳のころ、「待ちなさい」と言われたのに頑固に言い張って、受洗させてもらったのでした。

教会にいるとお年寄りの方がいて、大学生がいて、小さな子供もいるので「自分の居場所『も』またそこにある」と自然に思える場所なのでした。




今回、2週間帰国して、45歳になった自分はまた母教会の礼拝に2回出席できました。


1回目の礼拝後、昼食を買うテーブルに行き並んでいると、私が7歳のころ教会学校の先生だったEさんがうしろから来て、私の手のひらのなかに、昼食のための250円を握らせてくれるのです。「恥ずかしいけどね、こんな小さな金額をね、でもお昼ごちそうさせて。」と言って。


2回目の礼拝ではお昼ごはんには残れなかったので、ご挨拶して帰ろうとしていたら、私は少しだけしか知らない小さな女の子がひとり、昼食を待ちわびてさっさとテーブルについているのです。Hちゃんに「おなかすいてるの?」と訊くと「おなか、すごく、すいてるの!」その子は抑揚をつけて、答えました。



私にとって、母教会はこんな場所です。

現在ベルギーで自分の働いている教会は、この母教会にだんだん似て来ています。
また、教会ではない場所でも、これに似ている、と感じることがあります。




擬似的なものなのです、母教会と言うものは。

誰が、とか、この教会が、とか、

私が、ということすら、どっちでもいい、と思えるぐらい、

「そういった場所である」ということが、

心にとって大事であるような場所。



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習慣付け…
今朝は一泊旅行だったので例外と言う事で…明日から、「早起き+ブログ書き」また再開するぞ〜!
(ほんとに例外ばっかり!ダメダメですね!でもあきらめませんわよ!)

おさなごのように…
このようなおなかをすかせた小さい人のいる風景に居合わせる事が出来る、日曜日。
なんて可愛いの、Hちゃん。













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