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ストの続く日々、雑感

写真-2


3月22日にテロがあって以来、もともとあった政治への不満が各レベルで大きな声になりつつあり、先週から交通機関を中心としたストライキが「労働者個人のレベル」で急に始まって、労働組合のストに流れ込んだため、ほぼ全面的に電車に乗れない生活が10日近く続いたブリュッセルです。フランドル地方よりワロン地方とブリュッセルの方が「個人レベルのスト」の「乗り」が良かったため、学年末試験に入った教育関係者と学生たちはとんでもない目に合いました。試験に行けなくて8月に追試になった人もいて(それは夏休み返上を意味する)、わたしの家でも、電車がなくてもなんとかそこにたどりつき、なんとかそこから帰宅するということが試験そのものより大きな命題となってしまいました。

そこで、「じゃ車で行くか」と簡単に言うわけに行かないのは、それで渋滞がさらに激しくなるのは目に見えているからです。それに、8時間ぶっつづけで個人レッスンという集中力の要する教えの仕事に加え、行き帰り1時間以上運転できるかというと体力的に自信がない。というわけで1日のレッスンのために前日夫に車で送ってもらって近くの親戚の家に泊めてもらい、当日親戚に車で試験のある教会まで送り迎えしてもらい、次の日にそこの親戚の長男がブリュッセルに仕事に行くときに車に便乗させてもらって、写真の教会でオルガンの学年末試験を終えることができました。

普段は自力で(当然のことですが)黙々と仕事に向かい、淡々と帰宅し、「仕事してきた」と偉そうにしていたのですが、いやー電車ないと仕事もクソもないですわ。(すみません口汚い)みなさんにお願いして、頭をさげて、申し訳ない気持ちに満たされながら、生徒も教師も試験官もみんな揃ったら本当にありがたい気持ちで「やった、ついに予定通り試験が敢行できた!」と、ありえないほどのイベント感でした。

「ひとにお願いする」ということが、めんどうくさいような気持ちになってしまう現代の便利な生活が、集団的に瓦解したので、お願いされる方も事情がよくわかるので快くみなさん助けてくださる。今回の場合、夫の親戚だったので「こういう機会にこうして会えるのも良いよね」とさえ言ってもらえて幸運だったのですが、確かに、「助けられる」人としてできる会話というものがあると感じました。

それはつまり「わたしは大丈夫ですから。」という態度で人と接するときと「わたしは助けて欲しいのです。。。」という態度になるときでは、自分の心の状態が変わるということです。ひとにお願いする他には選択肢がない、そういう状態に、都会ではあまりならない。親戚が住む地方都市では、選択の幅がかなり狭いのが普通の状態のため、困っているとすぐに助けようとしてくれるのではないかと初めて気づきました。

「だからありがたくて感謝して感激しました」という感想だけではなく、今回の場合、ある種の危機感を覚えたのも事実です。「それぞれがそれぞれの役割を黙々淡々とこなす生活」が無視している大事な何か。「そこから先はわたしは関われない」と、どこかに線引きしてしか、こなせない人生って?

渋滞の朝、送ってもらう車の中で、甥っ子(血は繋がっていないですが)とふたりで初めて2時間ちかく会話した中で、若者の勤め初め1年目の心持ちをしみじみ感じることができたり、音楽祭の企画の仕事をしているビデオ系技師なので随分おもしろい話が聞けたりしたのですが、なにより一番心に残ったのは「どうして生まれ育った町から就職したブリュッセルへ引っ越さないかというと、それは、自分には親しい地元の人たちがいちばん大事で、みんなのそばにいたいからなんだ。ブリュッセルなんか絶対住みたくない」と言ったことです。何があったのか。(それは訊けなかった)

この学年末試験の日々、ブリュッセルの音大学生で、先生にいろいろ言われて「もう辞めたい」となってしまっている子がいるのですが、実はその先生に認めてもらいたいあまり、先生に「来年は見てあげない」というようなことを言われてしまう前に自分から辞める口実を一生懸命考えている。その子は親が音楽をやっていないので、ブリュッセルの音大の競争の激しさ、学生同士もお互いに褒め合わないクールさに初めて直面し、そういうプレッシャーに堪えられないという部分があるようで、「音楽やってる人たち嫌い。。。」という気持ちになっています。

ロンドンで勉強した時代から、わたしはずっとそういう中でかなりひどい目に遭ってきたので気持ちが痛いほどわかる。でもわたしは一緒になって自分も「クールになる」ことでそっち側のやりかたに便乗してきたのかもしれないなと思うのです。

それが、日本である時期流行した「勝ち組、負け組」の構造を、自分も甘受し、その蔓延に手を貸すことになっているのでは…

音楽家の子供達もそんな親のクールさ、ある種の「いろいろ無視できる力」に反発して、音楽から離れていくことが多い。教師として、親としても「いろいろあっても、それは置いといて練習しなさい」と言わないわけにはいかない現実。

甥っ子の「ブリュッセルには絶対住みたくない」という心、音大学生の「音大辞めたい」という心を、「彼らが自分で決めたことだから尊重する」という素晴らしい無視の言葉を使いつつ、全く歩み寄る可能性を捨ててしまうのでは、

ストの存在する意味がない!

と思う。長い交通機関のストは日常生活にものすごいインパクトがあったから他人と関わらざるを得なかったけれど、身近にも耳をすませばちいさなストがいっぱいあるのだ。。。

「つらいなあ、まわりとうまくいかないなあ」

ということは日常ではたくさんある。そのことをストレートに小出しに社会的に認められた方法で表現する機会が少ない、高度な現代生活。


そんなのぜんぜん高度な生活じゃないと思いませんか。。。


これまで、辛そうなひとを見て「なにか助けになることをしたいけれど自分には何もできない」という気持ちはなるが、そこでストップしてしまっていましたが、もともと「助け」という表現が出てくること自体、なんか間違ってる…ことがわかった、ストの日々でした。


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あと三週間…

頑張れば、夏休み。先生がここでは2ヶ月休暇になるということがこんなに楽しみだったことはないです。
でも3つの音楽アカデミーでオルガンを教えるのは楽しかった。
人生に一度、たっぷりおとなからこどもまで、他人と関わる機会を与えられたのだと思う。
先生と生徒という関係が社会に存在するおかげで、こんなに深くやりとりすることが可能になるのだと本質的になにかがわかった、意味深い一年でした。

具体的にできるようになったことといえば「あれ、何だろう?」と感じたら無視しない。
かといって、わたしが解決策を探してあげようというふうに考えない。
でもそのひとがもっとよく弾けるようになるという目標に一緒に向かうわけなので、弾くのはそのひとだけれど示唆するのはわたしという役割分担の中で、時には「根本的に間違っていますよ」ということすら、指摘できる人にならないといけない。
オルガン台になんども上り下りしすぎたことと、そうした「自分と彼ら」の境界が混合しやすい状況の表れか、左の膝が腱鞘炎になっています。(仏語のジュヌgenouxという言葉は膝のことだけれど、『わたしje』と『私たちnous』をくっつけた音と同じになるのでオステオパシーでは精神的なつながりがあると考えられている)7月になったら治ると思うけれど、今のところ「早起きしたい」とか「お弁当を作りたい」とか、全部封印して、ひたすら、練習して、教えて、うちにいる若い人たちの話を聞いて、1日が過ぎていきます〜。
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