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聖セシリアの日

すぐ前のブログからひと月たってしまったので、その続きを書くとしたら、

「11月、まとめ!」

ということになるのですが、

11月は「永遠の休息」について、

(というのは、

「死」のことについて、なのですが、)

考えさせられる出来事が起こり、

ブログにまだ書ききれないので、今いろいろと反芻しているところです。


私の親族に不幸があったということではありません。

だから、何故そんなにインパクトがあったのかということが、まず説明出来ないのです。

ハロウィーンの次の日にあたる聖人の日や死者の日、そして娘たちと観光で行ったパリの墓所巡りと、関連したできごとが続く中だったからこそ、よけいに考えさせられたのだと思います。



しかし、プロテスタントの私にはあまり「聖人」、関係ないかも〜!という日々。
でも夫などは12月3日という名前聖人の日にはみんなからお祝いを言われたり、プレゼントをもらったりします。

そこで、私が親近感を憶える聖人は誰か?と訊かれれば、今ではひとことで


聖セシリアですっ!!


と答えられます。

この人は、音楽の守り聖人になっていて、ルネサンスからバロック時代の音楽演奏の絵画によく登場し、そこでよくオルガンを弾いている女性の聖人なのですが…

その聖人の日は11月22日。

男性の音楽家も女性の音楽家も、この日はお祝いを言い合います。


だから、ここでも、音楽にたずさわる方達、音楽を聴くのを好きな方も含めて、



おめでとうございます!



そんな聖セシリアにあやかったわけでもないのですが、意外に予定が会わなくて最近滅多に会えない音楽仲間と夕食に誘いあい、今週から来週にかけて、お喋りするのが楽しみな食事会が珍しく続く我が家。



それはいいにしても、何故、今日のブログカテゴリが「美人力」なのか?!



と不思議にお思いですよね?!



(あっ気づいてなかったですか?!)







名前聖人?なにそれ、とあまり興味もなかったある日、

わたしは合唱練習で伴奏をしていました。


ところが、よくあることですが、練習の場所には、アップライトピアノしかありませんでした。

使っていないときやはり邪魔になるのか、アップライトピアノの定位置は部屋の右隅の壁際。

練習のたびに動かせば良いのでしょうが、その時はミサの前で、少し練習するだけだったのでそのまま、

私はピアノに向かい、合唱の人たち&指揮の人は部屋の真ん中にいるという状況。


しかし、譜面の方向を見ていると伴奏できないのです。

やったことのある人はわかると思うのですが、

指揮の方に顔を向けないと、一緒に弾けない。


つまり。


両手は下に向けて、鍵盤に置いている。


両足は少し幅広く構えて、やや左側に開けるように置き。


左に顔を向けて、指揮の人の、フレーズの入りと終わり、最後の「持って行くところ」などを、「じろっと」見る体勢を取る事に。

そうすると、どんな顔になるか。










Blanchard_Jacques-ZZZ-St_Cecilia.jpeg












このジャック・ブランシャール氏による聖セシリアの絵ではそれほどでもないのですが、

聖セシリアの絵を見るたびに


「なんでこんな不自然な体勢でオルガンを弾いているのだろう」


「この、半分ひきつった表情は一体なにをあらわしているのか」


と、不思議に思っていた謎が、解けた思いでした。





つまり、「誰かの伴奏をしているから、そっちを向いているのである」



というリアルな理由があったのでは…?!?!?!?!


…………


と、いうのは、多分、穿った考えです。



聖セシリアは、天使と一緒に神を賛美することが至福すぎて、ほとんど泣きそうな表情になっているのだ、


というのが正しい解釈と思われるので…。




しかしそこで私は、聖セシリア偉い、と思うのです!



不自然な体勢をとってもちゃんと両手が鍵盤に触れている、そのプロ意識。

ちょっと苦悩っぽい表情を浮かべつつも、あるいは「トランス」中なのかも、とも取れる、あからさますぎない顔つき。

足を開いて座らないと体をひねれないのですが、けっして行儀悪くならないような、いちおう素敵な格好をしている。

周りに描かれる天使やら人間やらのまん中にいるにも拘らず、

「わたしディ〜ヴァ!!!!(女神様)」

という勝ち誇った顔になることもなく、やや愚鈍なのではないか、というようなもっさりした雰囲気をそのわりにはきらきらと醸し出している。

(別の見方をすれば典型的な「耳を使っている人」の顔?)




ちゃんと弾いている人の役割を果たしつつ、美しげな雰囲気も出している、というわけです。




不思議なのは、これらの絵画では、画家たちが「ひとびとの心の中の聖セシリア像」を具現したということで、もちろん実在のある人を見ながら写生したわけではありません。

聖セシリアという人はいなくなってからもずっとこのようなイメージを喚起する人格の人だったのかもしれないし、単純に言ってしまえば、どの時代にも、伴奏者というものがこういう雰囲気を醸しているということなのかもしれません。


と、いうわけで、


聖セシリア、共感出来る!


と、思ったし、


美人力にもいろいろな種類がある!


と思う、音楽聖人の日でした〜!



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習慣付け…
最近、手帳が真っ黒!そんななか、朝7時以前に目を覚ましたら夜まで持たない!という部分が、早起きはいいけれどなかなか難しいところです。冬の早起きは7時がぎりぎりかも…。いまのところ、生活時間については模索していて、12月に入るまでにリズムをきちんとしたい、とおもっています〜。

ジレンマ…
音楽聖人の日、お祝いするのは良いのですが、その日にコンサートが入ると、祝ってもらうどころかなんだかハードなので、自分が弾くコンサートがない今年はちょっとラッキーです。娘の参加している、若い人のオケのコンサートを聴きに行き(ぷはー今月は忙しかった〜これで終わり!)早めに寝ます!23日は大聖堂で年一度のながーい芸術ミサを聴きにいったあとデュルフレのレクイエムの合唱練習なので、体をひねりながらまたサント・セシルのことを考えてしまいそうだ。

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