夕暮れ

アシスタントの練習のあと夕暮れの街を自転車で走ると、

窓のない側の建物の壁に、丸く浮かび上がるように絵が投射されている場所をいくつか通ります。



日が落ちないと投射されないので、

昼間はただの建物だけど

夜になると美術館に入場したみたいに

ここと、つぎはあそこ、という風に

投射の絵を順番に見ながら道を行けて


ぼんやりと見えるだけなのに

なんて暖かい。




まるで壁の中の部屋の様子のような「だまし絵」の投射を見たあとは


暗い通りから明かりの灯った階上の(ほんものの)窓までも見上げてしまったりして


「ここには天井の高いアパートが続いているんだな」


とか


「ここの家はあまり人が住んでいないのかな」


とか



絵を見ていたのに

建物のだまし絵を面白いと思っていたのに

結局は人の気配を探しているということに気づいて




人がいるって、こんなにたくさんいるって、


こんなにたくさん生き生きと生活しているって、





なんて勇気づけられるんだろ〜と





そう感じたらこんどは





ときどき自分がひとりぼっちで寂しいような気分は

ただ、自分でそう思っているだけだったのかもしれないなと


(ただ自分の心の中がそうなっているだけだったのかもしれないなと)






今日初めて思ったのでした。





壁に絵を投射してみたら


街が暖かく感じるのではないか、




そういう風に思いついた人がいるということが




ここに投射する為の絵を誰かが描いてくれたことが




今日も日没がまたちゃんと来たということが






………





そういうふうにいろいろなことがすごい、と感じたとき



誰かに言いたいような心になって


そのときだれもとなりにいなかったとしても


ひとりぼっちとは違う心象になるじゃないか!


ひとりぼっちが少し冷たいとしたら


「すごい!」

という心は暖かい。



ひとりぼっちで冷たい時は


「なにもかもすごくない」


と言う気持ちに支配されやすい。





こういうもろもろのことは


芸術の起源にかかわっているような気も、するのでした。




にほんブログ村 クラシックブログ 鍵盤楽器へ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村










文体…


きょうは、


短く30分で書く練習だ


と思ったら


もう散文しかないというか


ほとんど詩になってきて


宮沢賢治の



(とちゅうでかっこに入ってたりする)



みたいなのまで出て来た…



まずい。


どうやって明日から乗り切るんだこれで…





関連記事
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。