本番

題名が「本番」なのに、カテゴリーが「クラシック楽器練習法」なのはヘンだな、とも思いますが、今日は関係あるので、そのままにしておきます。


ところで、しょっぱなから、話は逸れますが、

一週間の日記をブログで3週続けてアップしたのは、何故かと言うと。


ファッション雑誌や、…クラシック雑誌でもたまにありますね…

「○△さんの一日。」

とか、

「xxさんの1週間。」

といった、雑誌の最後の方にある、コラム。



私にはその人が有名なのかどうかも知らない人たちがほとんどなのに、それでも、そういうコラムが、

大大大好きで。

あまりに好きなので、もしかしたら、読んでみたい人がいるかもと思い、書いてみているわけですが、

ひとりよがりで、実際に一体何人の人が面白がって読んでいるのかどうか…はなはだ疑問です。

続けるかどうか自分でも考え直すつもり。

題名を決めて何か書くより、月曜日は「日記」と決めてあるとラクだ、という部分は、捨てがたいのですが、

まあ、自分で読む分にははっきりいって、ぜんぜん面白くない



あの雑誌の記事は、他人の人生だから読んで面白いのか、又は、雑誌のコラムはプロの仕事だから面白く読めるのか、…





で、ここから本文なのですが、

生活がイレギュラーとはいえ、やっていることが同じなのが、問題なのだ、と。


このまま「1週間の日記」を続けると、まるで「コピペ?!」みたいなものが続出する恐れ、大。

かといって、毎日まるで新しい体験でもあるかのような気持ちで精を出して練習に行くのは、

「もっとうまくなりたい」

というあこがれに支えられているから。

「うまく弾けたら嬉しいだろうなあああ〜」

と本当に渇望しているから練習に行くのですが、不規則ではあれどレギュラーに教会を往復しつつコピペみたいな生活をしているということは、まったく音楽の方は進展していないのではないか。

それなのに何故希望を失わないのだろう?


今日、本番があって、そのことを自問自答してみました。



本番があると、実は、必ず発見があります。



(もったいぶって言わなくてもいいか…)



いや〜


今日も発見の連続でした。




そして細部での学びは20カ所ぐらいありました。

きょうはその細部についてはここでは、割愛しますが、日記帳には、敢えて書き留めてあります。
そうしておくと、来年見たときに、実は少しずつだけれど、演奏の技術が向上して行っていることに気がつけるからです。若さと共に失うものがあれば、かわりに得るものもある、ということは、音楽を生涯続けたいと思う人にとって、とてもラッキーなことです(音楽ならでは)。


毎日の練習では、「理想」に向かって模索しているとします。

「このテンポでこのような『物語』という解釈をしたい」

と思ったとして、本番の日が近づくにつれ

「この日この本番でどこまでその理想に近づけるか」

と現実的に考える練習もしなければなりません。


最終目的のことをあきらめるのではなくて、その路線なのだけれど今出来る全てを動員しても、ここまで…というラインの線引きをするのです(そういうことをしているのは、もしかしたらわたしだけ?)。
それで、当日の前に身体状況が最善のコンディションになるようにして、戦いに挑む、的なことになります。
そうできると、当日に、「本番でしかできない理想への前進」を出来る事があります。

逆に、当日も、理想に向かってあまりも羽ばたきつつ演奏してしまい、線引きがうまくいっていないために、うまく理想へ前進できないこともあります。


その本番が試験やコンクールだと、その点数、結果や、評によって「自分」という人格に一生の「レッテル」を貼られたような気にもなりますが、聴こえる音だけが、音楽の表現では評価の対象になるので、やはり素晴らしいものを内側に包含していても、うまく「聴かせる事が出来なかった」ということは、「今の時点では、ないのと同じだ」と受け止めるしかありません。



自分の教会は、昼コンサートの当番で月一度は弾く、ということを、かれこれ14年やっている場所。
自分では、今日のリサイタルは笑顔で終えられた演奏会でした。

ところが、聴いている人の中にも古参の人たちがいて、

「この作品は、あなたの為に書かれたという事だけれど、ぴったり、というわけでもないね。あなたの良さは、こういうタイプのものでは発揮されない。」

と言われました。


………(一瞬言葉が出ず。)………



そ、そこまで、思ってくれるなんて。

有り難すぎて言葉も出ないのですが、

でも私は

「ああ、こんな作品が存在してありがたい。こんなにも『これをなんとかして巧く弾きたい』と思わせてくれる物が。現代作品が存在しなかったら今頃私はのたれ死にしていたのではないか(やる気の喪失による)」

と思ったのでした。


ここまでわくわくしながら、

「やっぱりだめだったところもある。新しい地平が開けた部分もある」

と、明日も早起きして練習に行きたくなることじたいが、音楽をやる醍醐味のひとつだから。


本番が、練習の一貫である、と言いたかったのはそういうことです。

本番が本番で終わってしまうとしたら、それはもう楽しくなくなった時なのかもしれません。


本番の度に、理想からのギャップを値踏みしてなんとかライン引きし、外から見れば単調な日記しか書けない毎日であっても、それでも

オルガニストは行く。

ははは…
(弱々しく笑ったつもり)


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追記。

演奏会のあと…
本番のあとで、一緒に何か食べたり飲んだりしながらいろいろお喋りする仲間がいなかったら、ふやけた脳みそをもとにもどすのは大変だろうな〜。今日もいつものカフェでいろいろ話した。そして、お土産を買いたくなって、買った。帰ったら空が青かったので、猫と庭に。パソコンを用意して、お気に入りブログを読もうとしたのに、今日の庭のネット環境がゼロで(何故毎日違う?)読む物がない。しかもおなかに猫が乗っていて動けない…という危機的状況に陥り、週末に娘が私のパソコンで書いて保存してあった宿題を読むはめに。16世紀の絵「イカルスの墜落」アンド「3人の乙女」について。ふーん。新しい解釈かぁ…。読んでいたら脳みそが正しい固さにもどってきたので、通常営業に復帰。草抜きをして家計簿をつけて夕食を作った。ゆでとうもろこしが美味しかった(気がついたら、またただの日記になってる…)
あ〜明日の早朝、ごみの日…今晩出さなきゃ

火曜から金曜の習慣付け…
明日からまた頑張ります〜。きょうのブログは夕食後書きました。





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